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■大谷石とは?■
栃木県宇都宮市大谷町付近一帯から採掘される、流紋岩質角礫凝灰岩の総称です。
※流紋岩とは
火山岩の一。二酸化ケイ素に富み(重量比約70パーセント以上)、淡色。 石英・カリ長石などの斑晶を主とし、ときに黒雲母・輝石などを含む。 ガラス質の石基には流理が目立つ。溶岩・火砕流・岩脈などとして産する。
■大谷とは?■
石の町「大谷」 大谷石に育まれ発展した大谷。
現在では、大谷石採掘も手堀りから機械堀りへとなり、昔と大きく変わってきています。
■大谷石の分布■
大谷石は宇都宮市の中心より北西約7Kmの大谷町付近に、 東西に約2Km、南北に約4Kmにわたり、うすい緑色の凝灰岩として所々に露出しているが、 採掘区域は東西に約3Km、南北に約6Km及んでいます。
大谷石の分布は、東西に約8Km、南北に約37Kmにわたっており、地下200m 〜 300mの深さまであります。 埋蔵量は、10億トンと推定されいます。
西は多気不動尊の中腹から始まり、東は宇都宮の市街地を流れる田川の底に見られることから、 大谷石は10度前後の傾斜で東西に分布していると思われます。
また、北は徳次郎地区の国道119号線、南は小山市内の思川鉄橋に見られることから、 南北に細長く分布していることがわかります。
■大谷石の成分■
石基は多量の浮石質ガラス、斜長石、石英と少量の黒雲母角閃岩輝石で構成されています。
大谷石のなかに含まれる褐色の「みそ」と呼ばれる部分があるが、みそは、 含水量の多い沸石およびモンモリロナイトの粘土鉱物からなっている少量の蛋白石鉄塩鉱物などの 不純物を含んでいます。
主旨
珪酸       66.96%
第二酸化鉄    1.85%
酸化アルミニウム 12.55%
酸化マンガン   0.06%
石灰       1.92%
酸化マグネシウム 0.47%
カリ       2.35%
ソーダ      2.87%
加熱減量     11.02%
■大谷石の特徴■
・表面が凸凹している
・耐震性・耐火性にすぐれている。
・石質がやわらかいため、加工が容易である。
・石の重量が軽い。
・他の石材に比べ、見た感じがあたたかく、しかも、やわらかさと優しさがある。
・温度・湿度も一定に保つ(多孔質で多くの空気を含むため、自然の断熱材の役割も果たしています)
・脱臭効果
・防音性に優れている 一例)
また,石蔵建築等にも多く利用されています。 機能効果として春夏秋冬を問わず建物の室内の気温の一定を保ち【約18゚C】 ◎防湿効果【54%】を保ち、 ◎耐火◎耐震性に優れているので [穀物][書物][骨董品]等の【保管庫】として これもまた昔より数多く利用されています。 というデータもあります。
■大谷石の使用目的■
国分寺建設の際の基礎(石垣・土止め・土台石等)がはじまり 建物・蔵(昔) 大谷石水盤 大谷石鉢(植物に良いゼオライト成分が含まれているため) 門柱・塀 灯籠・置物(蛙や石像など)

※ゼオライト
大谷石の中には、天然ゼオライトを含有しその効果は 吸収性、造粘性、個結性があり、水処理、公害物質処理、油処理、脱臭処理などに 利用できる。複合肥料として昭和29年県農業試験所で開発されその後一部実用化し、 化成肥料、土壌改良材として酸度を矯正し調節保持する効果があり、 今後天然ゼオライトとしての利用が活発で今後ますます期待されております。
・建築用材…倉庫,工場,防火壁,事務所,住宅,店舗
・付帯設備…石塀,門柱,壁材,玄関ポーチ,マントルピース
・土木用材…宅地造成,団地の石垣,土留,護岸,区画割,側溝
・装飾用材…大谷石を加工した焼成材等を装飾壁材として(例 バーンストーン,武城焼,ヨーザン石等)
一部は化学肥料に使われています。
■大谷石の歴史■
大谷石利用の歴史
大谷石が使用された最も古い記録は、栃木県内の壬生町車塚古墳と間々田町千駄塚付近百塚で、 大谷石製の石棺が発掘されています。(約1500年前)
大谷石利用の歴史はつぎの通りです。
西暦 795年  天平13年の国分寺建立で、土台に使用される
西暦1063年  第70代後冷泉天皇の康平6年に宇都宮氏の祖宗円が宇都宮城築城で使用する
西暦1375年  永和年間宇都宮市内の興善寺境内に大谷石の五輪塔を建立
西暦1620年  元和6年、城主本多上野介正純が城郭普請に使用し、領内田野村から大谷石を採取
昭和11年    城の旧本丸跡に大谷石の地下道が発掘されている
西暦1721年  享保6年鬼怒川の水利を利用し、筏で江戸に搬出し当時江戸の隅田川沿に大谷石を扱った問屋が 16軒を数える船着き場としては石井町の鬼怒川利用説と幕田町からの姿川利用説がある
西暦1785年  弘化3年、宇都宮二荒山神社の石垣修築の際大量に使用する [明治年間]  明治に入り交通の発展と共に、東京をはじめ関東一円に販売網が広がる
西暦1922年 大正11年、旧帝国ホテルがアメリカの建築家ライト設計により大谷石で建築される
大正12年9月 関東大震災発生し帝国ホテルは焼残り耐火耐震に優れていることを立証し一躍声価を高める
※旧帝国ホテルについて
あのフランク・ロイド・ライトの設計による建物で 完成したのは大正12年の関東大震災直前。震災にもかかわらず被害を免れたというのはあまりにも有名。 以後昭和42年まで使用されたが解体され一部が明治村に移築された。 ちなみに旧帝国ホテルの解体が決まったとき世界中の建築関係者から大きな非難を受け、 時の総理が訪米した際に、つい日本には明治村というところがありそこに移築させる、 とか言ってしまったというのが実際のところらしい。
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